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バルドスタ()は、アメリカ合衆国ジョージア州の南部に位置するラウンズ郡に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。2010年の国勢調査で、人口は54,518人となっており、州内第14位である。 バルドスタ大都市圏の主要都市であり、2010年の都市圏人口は139,588人だった。 市内にはジョージア大学システムに属する地域校バルドスタ州立大学があり、学生数は13,000人を超えている。またバルドスタ高校は国内で最もアメリカンフットボールの勝ち数が多い高校である。 ツツジが多く生育されているので「ツツジの都市」と呼ばれる。毎年3月にツツジ祭を開催している。 == 歴史 == バルドスタは1860年12月7日に法人化され、このとき郡政府は近くのトループビルからバルドスタに移された。トループビル住民は、ガルフ・アンド・アトランティック鉄道が4マイル (6 km) 離れて建設されたときに、住居を移した。1860年7月4日、サティラ3号と呼ばれた機関車が最初の列車を引いてガルフ・アンド・アトランティック鉄道のバルドスタ駅に入ってきた。 現在事実上廃村になっているトループビルは州知事ジョージ・トループから名前が採られており、州内のトループ郡も同様である。バルドスタはトループの荘園であるバルドスタから採られており、その荘園はイタリアのヴァッレ・ダオスタ州から採られていた。「アオスタ」はラテン語の8月であり、皇帝アウグストゥスを指している。バルドスタという言葉は文字通り解釈すると「アウグストゥスの都市の谷」となる。当初、町の名前は「美の谷」を意味するという噂が長く続いていた。バルドスタ周辺の土地は平坦である。 南北戦争後の1871年と1872年に、ラウンズ郡から100人以上のアフリカ系アメリカ人の農夫家族、工芸人、労働者が、より良い生活を求めてアフリカのリベリア、アリシントンに移住した。これはアメリカ植民地協会の支援で可能になった。1871年に出発した最初の集団はジェファーソン・ブレイスウェルが率い、2番目の集団はアーロン・ミラーが率いた。 1902年11月、ハリス・ニッケルプレート・サーカスの人気者象ジプシーが暴れ出して、調教師のジェイムズ・オルアークを殺した。ジプシーは数時間町を恐怖に包んだ後、町の北にあるチェリー・クリークに走った。それを警察署長のカルビン・ダンピアと自警団が追った。ジプシーはクラッグ・ヨルゲンセン・ライフル銃で撃たれて殺され、その場に埋められた。ジェイムズ・オルアークはバルドスタのサンセットヒル墓地に埋葬された。 1918年5月、ラウンズ郡で大きな人種暴動が起こった。黒人農業労働者のシドニー・ジョンソンが、白人農園主ハンプトン・スミスに繰り返し虐待されてきたと考え、スミスを銃で殺し、その妻を負傷させた。このためにリンチを要求する暴徒集団がバルドスタに集まり、5月17日から24日まで続いた。その結果、21歳の妊婦メアリー・ターナーを含め13人のアフリカ系アメリカ人がリンチされることになった。シドニー・ジョンソンは5月22日の銃撃戦で、バルドスタのサウストループ通りの家で捕まえられた。ジョンソンが死んだ後、700人以上の群衆がジョンソンを去勢し、その体を引き摺ってパターソン通りを下り、モーブンの町まで行った。この暴動の後、恐怖にとらわれた500人以上のアフリカ系アメリカ人がラウンズ郡とブルックス郡から逃げ出した。ラウンズ郡における1918年5月のリンチ騒ぎは、第一次世界大戦後にアフリカ系アメリカ人に向けられた組織暴力の大きなトレンドとなり、1919年の「赤い夏」に繋がった。1922年までに、クー・クラックス・クランのバルドスタ支部が公然と集会を行うようになっていた〔http://www.maryturner.org/〕。 郡旧調査は1905年頃に建設され、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定され、郡の庁舎としては7代目である。初代庁舎は1828年に最初の郡庁所在地フランクリンビルに建設された。1834年、新しい郡庁所在地トループビルに2代目郡庁舎が建設された。その庁舎は1842年に建て替えられた。その建物が1858年6月、ウィリアム・B・クロウフォードが点けた火事で焼けた。バルドスタでは最初の郡庁舎は1860年代に建設され、木製建屋だったが、1869年の火事で焼けた。もう1つ木製の庁舎が同じ場所に建てられた。1875年には2階建て煉瓦造りの建物に置き換えられた。1900年、郡政委員会がより大きな建物が必要だと判断し、1905年、7代目の郡庁舎が建設された。地元では旧郡庁舎と呼ばれる建物になっている。2010年8月と9月、郡政府は全く新しい政府ビルに移った。ラウンズ郡庁舎はジョージア州でも最大級に美しい郡庁舎と広く認められている。多くの者が訪れ眺めた歴史的場所である。この郡庁舎は集会、公的な展示などの行事にも利用できる〔http://valdostamuseum.com/exhibitions/online-exhibits-2/places/lowndes-county-courthouse/〕。 バルドスタは国内でも長繊維綿花の生産中心地だったが、ワタミゾウムシの被害で1917年には綿花生産が止まり、農業はタバコに向けられ、他に松材を生産した。 「バルドスタ・デイリー・タイムズ」紙は、これまでに2度、世界で2番目のコカ・コーラ瓶詰め工場がバルドスタにあったと報じてきた。 地元経済は、州間高速道路75号線が地域を通って建設されたときに重大な後押しを受けた。特にアメリカ合衆国中西部やカナダのオンタリオ州から、フロリダに向かう行楽客は、ウォルト・ディズニー・ワールドやオーランドに行くときに便利な「最後の立ち寄り所」としてバルドスタを使った。 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、バルドスタでかつて開催されていた高校弁論大会で2位になったことがあった。 ジョージ・W・ブッシュ大統領は、1968年11月にバルドスタのムーディ空軍基地で州軍の飛行訓練を受けた。 労働統計局の「月間レーバー・レビュー」に拠れば、最初のATM機がバルドスタのC&S銀行に設置された。 バルドスタは、雑誌「サイト・セレクション」により、2003年の「アメリカの小さな町トップ100」に選定された。2010年、雑誌「フォーブス」により、「事業と経歴のための最良の小さな場所」の1つに挙げられた。1910年、雑誌「フォーチュン」が一人当たり収入を基準にアメリカで最も裕福な都市にバルドスタを挙げていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルドスタ (ジョージア州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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